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Why teams?
自分の手で何か新しい、面白いものを作ってみたい、それを誰かに喜んでもらいたい。という願いを持ったことはあるでしょうか。そう求められていると感じたことがあるかも知れません。しかしどうやって?そのための場所はどこにあるのでしょう?
新しい、面白いものとは何でしょうか。新しい、面白いものは、それが目の前に現れるまで、どのようなものか知られていないものでしょう。何か新しいものは、その言葉の通り、それが見えるようになるまでどうなるかわからないものであるはずです。それはかつての想像を超えながら、しかし同時にそれ自身を肯定しながら、生まれるものになるでしょう。
どうなるかわからないものを、どのように作るか?これは矛盾した問いであるようにも思えます。どうなるかわからない、予想できないことへの準備は不可能で、新しい、面白いものは偶然によってしか生まれないのでしょうか?そうは思えません。できることはあるはずです。やっている人たちが大勢います。
何か新しい、面白いものを作ることを生業とすることは、その矛盾を引き受けることでしょう。やってみなければわからないことについて、報酬をもらう。報酬をもらうということは、何か新しく、面白いものを生み出す期待を背負うということを意味するでしょう。どうなるかわからないことを、引き受けて、新しく、面白くする。
「不確実性と向き合う」という言い方を、難しいがやらなければいけないこと、競争に打ち勝つために必要なこと、というニュアンスとともに耳にすることがあります。向き合う、という言い方に違和感を覚えるのは、不確実ではない=確実なことがある、という期待が読めるからでしょう。それは、不確実なことへの恐れです。現実から逃げて、ありもしない楽なものにしがみついていたい、と表現するなら正直ですが、しかしそれでは何か新しい、面白いものを作ることからは遠ざかるでしょう。
新しい、面白いものを作る態度にとって、不確実性を恐れ、予定調和を求めることが危険なのは、それが結果よりもプロセスを不自由にすることに理由があります。それは私たちの心を制限し、本来備わった能力を発揮させることを拒む、ということです。私たち自身が、私たちを縛ってしまうのです。
不確実性を自然と読みかえると、そのことがわかるのではないでしょうか。予定調和は、私たちを自然を交流できないところまで隔離してしまいます。そこでは私たちの能力は発揮されようがありません。なぜなら私たちの身体と心はそれ自体、自然に由来しているからです。そして、どうなるかわからないことは、自然的であることに必要な要素です。それは全ての人が生まれた故郷であり、豊かさと生きる喜びの舞台のはずですが、予定調和は、私たちをその舞台から降ろしてしまう。
ある人が自らのおかれた状況と世界の成り立ちに納得し、その人自身の必然に対して忠実に振る舞うとき、その人らしい力が発揮されるでしょう。それは、結果が何であれ、その人にとって、生きていることを実感する瞬間になり得ます。そこで生み出されるものは、新しく、面白いものにもなるでしょう。
ここで最初の問いに戻ることになります。しかしどうやって?そのための場所はどこにあるのでしょう?
私たちの内外に存在する、自然と人を隔離する力だけでなく、「個」人にしようとする力についても理解しなければなりません。何かをするとき、その目的や、そのことから誰が利益を得るかを明らかにしようという態度に、すでにその力は潜んでいます。自然の力に忠実であることは、その場に調和しようとすることです。その振る舞いは、強いて言えばすべての人たちのための行いですが、そう言ってしまうとまたおかしなことが起こります。「特定の誰かのため」である可能性が、すでにそこに忍び込んでしまっています。そこから逃れるには、何かのため、という地位から、私たちのやることを開放しなければなりません。
人が集団で生きることで発揮されるさまざまな能力を持っていることは、明らかです。個人であることを超え、無心で世界と一体となるための能力は、創造を可能にし、ダメージを癒やし、成長する喜びをもたらします。私たちはこれをチームと呼んでいます。
チームは、その内側に、ひとりでは不可能な方法で知恵を発展させ、苦しみを乗り越えるための人々の生まれながらの能力、調和しようという力を受け止めます。それは、新しい、面白いものを作りたいと願うひとたちのための方法であり、場所になるはずです。そして現実的には、自然に対して恐れを抱き、他者を支配することで予定調和を作り出そうとしたり、無謀によって世界を破壊しようとする悲しみの勢力から、身を守るための手段でもあります。世界全体が安全であることは、当面難しいでしょう。安全を求める人の自衛の手段はあってしかるべきです。私たちが、可能な限りたくさんのチームが生まれ、たくさんの人々にとって安全な空間を作ることができるよう支援したいと考えるのは、こういった理由からなのです。